百合サーチ!

百合(とBL)についてレビューしたり、考えたり。細く長くだらだらと続けていきたい…

「百合」の起源

ブログを書くことの心理障壁の高さに呆然としております。信じられないと思いますが、毎日「書こう」と思ってはいるんですよ。書かないだけで…

 

さて、各所で取り上げられた「百合展2016」(於:池袋マルイ)に行ってきました。

百合で展覧会とは、百合も偉くなったものだなぁ…などと思っていたのですが、展示のスペースはデパートの一番小さなアパレル売り場くらいで、その半分が物販スペースというかんじ。「展示」っていうよりはタイアップ作品の販促イベントですね。

そんな訳で、特に感想を述べる程のことは無かったのですが、会場の入り口にはこんな紙がありました。

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「百合にまだ答えはありません。あなたがそう思ったもの、いいなと感じたものが『百合』です」ということで、現状の的確な説明というか、「そう書くしかないよな」って感じの文章です。

変に「こういうのが百合なのだ!」みたいな主義主張を押しつけることのない居心地のよさは大事ですよね。そういうぬるさを保ったまま、気がついたら百合が身の回りに氾濫している…そんな感じで広まっていけば良いと思います。

 

ところで、「百合」という言葉のルーツは実ははっきりと特定されていますので、文献紹介をしておきましょう。

お金を払わずに見られる所としては、ニコニコ大辞典の記事「百合」がとてもまとまっていて、系譜的な分析も行っているので参考になります。これだれが書いたんだろうなあ…

次に書籍となったものとしては、講談社現代新書の『性的なことば』に項目を立てて詳述されています。

性的なことば (講談社現代新書 2034)

性的なことば (講談社現代新書 2034)

 

 執筆者の赤枝香奈子さんはジェンダー学の人だと思うんですが、『近代日本における女同士の親密な関係」という本を著しておられます。 「同性愛」、特に女性同士のそれを論じる同時代の言説が、どのように近代日本において形成されたのか。赤枝氏はその微妙な内実を、当時の報道や俗流性科学の本などを紐解きつつ、丹念に分析されています。

で、この本の内容についてはまた今度取り上げるとして、『性的なことば』の中で氏は、「百合」という言葉の起源として、雑誌『薔薇族』(二見書房)上のコーナー「百合族の部屋」を挙げています。1976年11月号でのこと。

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 こんな感じ。赤枝氏も指摘していますが、読んでわかる通り、ここに寄稿する女性読者のほとんどは、レズビアンというよりは(今で言う)腐女子でした。

薔薇族』はこのような意味での「百合族」を雑誌にひきつけようと努力しており、それは結局うまくいかなかったわけですが、ここで重要なのは、「百合」という言葉がそれが生まれた時点から「オタク文化」(腐女子とオタクを同列に見なすと怒られるかもしれないけど)と接触していたということではないでしょうか。上に挙げた「百合展」の趣旨説明のように、「百合と薔薇は対義語で、「薔薇」は男性同性愛者だから「百合」は女性同性愛者のこと…」っていうふうな説明をされることはとても多いのですが、少なくともこの言葉が生み出された時点での「百合」は、「薔薇」の対義語とはとても言えない概念だったのです。

ところが、このような、現在の「腐女子」に近い意味での「百合」という言葉の使われ方は徐々に衰退し、「レズビアン」の類義語として広まってゆきます。

特徴的なのは、その言葉の担い手が女性のおたくたちであった可能性が高い、ということです。この問題を追いかけているのは、こちらのブログ。百合の歴史を辿っている人はまだまだ少ないので、すごく参考になります。 当ブログも、一応学術的に百合を扱いたい人間がやっているので、(絶望的に筆無精ですが)がんばっていこうかな…と思います。よろしくお願いします。

 

 

 

百合ってなんだろう?(ごあいさつに変えて)

閲覧ありがとうございます。

当サイトは、文系学生の百合好き男子である管理人・meijuが、「百合とはなんなのか?どこで生まれ、どこへ向かって行くのか?」という深遠にして実にどうでもよい問いについて思考を巡らせるブログです。

いずれは、まとまった論考として読みうる記事も掲載したいと考えていますが、まずは何よりも、百合が好きな人や、興味を持たれている方々に「面白い」と言っていただけるような文章を書いてゆくつもりですので、生暖かく見守っていただければ幸いです。

 

ところで、いきなりですが、百合ってなんでしょうか。wikipediaの当該項目には、こんなふうに書かれています。

百合(ゆり)とは、女性同性愛のこと。また、それを題材とした各種作品。1990年代以降の日本の漫画ライトノベルアニメ同人誌のジャンルをさすことが多いが、戦前の少女小説や一般のレズビアン文学、実写映画も含まれる場合がある。

しかし、百合をある程度見たことのある人にとって、「百合=同性愛」と言い切れないことは明白であるように思われます。例えば、近年の百合ブームの火付け役となった作品に、今野緒雪の小説『マリア様がみてる』、およびそのアニメ版があります。

 

マリア様がみてる (コバルト文庫)

マリア様がみてる (コバルト文庫)

 

 

 伝統あるミッション系女子校を舞台に、少女たちの友情や心の機微を美しく描いた名作ですが…そもそもこの作品には、同性に恋愛感情を抱いていることをはっきりと表明するキャラクターは一人もいません。しかし、だからといって「マリみては百合ではない」などと言おうものなら、「お前の目は節穴か」と多方面から怒られることは間違いないでしょう。

付け加えるならば、百合の専門誌として唯一存続している『コミック百合姫』においても、(おそらく同誌最大のヒット作である)『ゆるゆり』にも、同性のカップルは存在しません。

 

ゆるゆり (1) 新装版 (IDコミックス 百合姫コミックス)

ゆるゆり (1) 新装版 (IDコミックス 百合姫コミックス)

 

 

はたして、これらの作品の存在を念頭に置いた上で、それでも「百合=同性愛」と言うことは可能なのでしょうか。僕にはどうも、この定義は範囲が狭すぎるように思えます。実際、ネット上ではしばしば、「百合と同性愛(レズ)は違う」という議論を目にしますし、「百合は友情以上、恋愛未満の関係を描くもの」という意見に触れることも、多々あります。

当ブログは、これらの見解に同調するわけではありません。なぜなら、百合と呼ばれるジャンルの中には、明らかに同性愛を描いた作品が存在するからです。実際、先に触れた『コミック百合姫』には、はっきりとレズビアンであると断定できるキャラクターが登場する作品から、『ゆるゆり』のような微妙な関係を描いた作品まで、実にさまざまな百合が登場します。このごちゃ混ぜ傾向は、かつて存在した百合アンソロジーなどの大多数にも共通する状況だといえます。

つまり、ある作品が「百合であるか、否か」を判定するには、「同性愛が描かれているかどうか」という基準は不適切であるということです。では、どんな基準を立てればいいのでしょうか?この点について、次の記事で探ってゆきたいと思います。

…もっとも、「なにが百合か」などという定義は、究極的には読者の主観に委ねられるべきものです。当ブログには、百合を愛するみなさま一人ひとりの価値観を否定するつもりは全くありません。そうではなくて、私の意図する所は、このブログを通じて呈示される私なりの「百合観」と、みなさま独自の「百合観」が対峙・共鳴し、「百合とはなんなのか?」という曖昧な問いを掘り下げることにあります。その意味で、もし、このブログに対するご批判・ご指摘を頂けるとすれば、これほどありがたいことはありません。どうぞよろしくお願いします。